余裕のある仕事と生活。とりあえずニーチェさん

よろしくお願いします。

 君たちはみんな、激務が好きだ。速いことや、新しいことや、未知のことが好きだ。——君たちは自分に耐えることが下手くそだ。なんとかして君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。
 もっと人生を信じているなら、瞬間に身をゆだねることが少なくなるだろう。だが君たちには中身がないので待つことができない——怠けることさえできない!
(フリードリヒ・ニーチェ:ツァラトゥストラ)

このニーチェさんの言葉は、仕事に全身全霊をぶつけることで自分から逃避してない? 大丈夫? 一緒に狂う? と聞こえます。ニーチェさん、今日もありがとうございます。おかげで狂いそうです。

私は、油断すると仕事に全力で挑もうとしてしまう人間です。仕事が片付いていき、自由が近づいてくる感覚が楽しいんです。それは達成感だけでなく、自己肯定感がそもそも低かったり、成長意欲がちょっとあったり、責任感が多少はあったり、お客さんやメンバーに貢献できることが嬉しかったり、承認欲求を満たしたかったりなどが、いびつにマッスルドッキングした結果発生する現象だと思っています。これを全力全開でやり続けると、基本的に疲れます。私は、この全力で仕事し続ける生活をやめたいと思っています。

だからかもしれませんが、先日、久しぶりに体調を崩して仕事を休みました。起きた瞬間から憂鬱で、頭はボーッとしており、少し発熱もある。出社しても戦力になっていなかったでしょうから、休みました。おそらく全力仕事モードやらなにやらが、いろいろ積み重なって疲れとして出たんだと思います。

めちゃくちゃ寝ました。前日から合わせて13時間ほど寝ました。そのあとはボーッとしたり、コーヒーを飲んだり、適当なご飯を食べたり、ギターを弾いたり。ゆっくりと時間を使いました。そしてトラベラーズノートに自分の気持ちを書いたりして、思考を整理する時間に充てました。

そこで「自分は働くことを中心に生きたいわけではないんだな」という結論に至りました。仕事はしたいです。人の役に立ち、お互いが尊重し合える場に身を置きたいです。自分の能力を高めたいです。金銭的に不便も感じたくないです。

ですが、働くことよりも音楽を聴いたり作ったり、文章を読んだり書いたり、旅行に行ったり、家族や友人と笑い合ったり、心が求める方向へ自由気ままに遊ぶ方が、楽しいんです。

仕事は生活を支える土台であり重要なものです。私はものづくりが好きです。どうせやる仕事なら、ものづくりを通じて貢献と成長が感じられるものだと嬉しい。でも人生の中心ではない。これが私の価値観なんだな。そんなことを改めて思っています。




いくつか本を読んだりして、働き方や生き方を考えたりしました。

働く時間という観点での本だと、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」は有名ですよね。映画の「花束みたいな恋をした」の洞察から入り、現代が「使える情報」と「なにかを自分で決めて成し遂げていくという姿勢」が称賛される世の中になっているという観察眼は素晴らしく(というか、時代ごとの読書考察がすごい)、最後に三宅さんが提唱する「半身」で働くという働き方には、とても共感しました。冒頭のニーチェの引用も、実はこの本で知りました。

静かな働き方という本も読みました。仕事一筋で生きていったがバーンアウトしてしまう方や、昇進の道から外れたがために、あっさり別の道を選び、それが意外と成功してしまう方など。仕事と生き様がいくつか紹介されている本です。

特にジョシュ・エバーソンさんの話は面白かったです。さまざまなアルバイト経験を経て、そのうちクリエイティブ集団を支援する事業をするようになり、交渉の手腕を買われてコンサル会社へスカウトされ、激務と高給と高水準の生活を得ます。

しかし昇進の道から逸れた瞬間にあっさり仕事を辞め、休暇をとっている中で「畏敬や感動に突き動かされた生活がしたい」と至り、労働時間を週20時間に抑える実験を始めます。それは非常に冒険心に溢れています。行う仕事自体は、個人事業主のように各プロジェクトから仕事を得ていたようです。結果、生活水準は下がったものの、健康的な生活が実現でき、仕事の質が上がったと書かれていました。それは彼の能力の高さによるものかもしれませんが、夢のある話だなと感じました。

斉藤壮馬さんのエッセイ「健康で文化的な最低限度の生活」も好きです。これは仕事のやり方が書いてあるわけではありませんが、丁寧な文体で綴られる日常を切り取ったような視点は、なにかに全力投球ではなく、周囲をよく観察して、全身で日々を眺めるような生活から得られる文章だなと感じました。

特に斉藤さんの母の言っていた、「ええか壮馬、ぼちぼちいきよし」という言葉は、個人的には胸に刻み込まれている言葉です。ああ、「ゆっくりいそげ!」という言葉はローマ帝国初代皇帝・アウグストゥスの言葉だそうです。面白いです。




映画も、なんだかんだ生き方を考えさせられるものを観ることが多いかもしれません。

「パターソン」は不朽の名作だと思っています。バスの運転手として毎日決まった時間に起き、運転し、帰ってきて、犬の散歩をして、バーで一杯だけビールを飲み、彼女と眠る。詩を書くのが趣味の主人公パターソンが、淡々と生活し、瞳に写った情景を詩として綴りながら生活を続ける。大きな変化もないかもしれないけれど、時に心が少し動く時もある。それがとても静かで、羨ましさすら感じるほど、美しいんです。

「リストラ・マン」は、1999年制作の映画ですが最近観ました。ブラック企業に勤める人物が妙な催眠療法で急に上司の言うことを聞かずに自分のやりたいように働き始めるという、コメディ映画です。

27年前の映画なのに、考えることは似てるのが面白いですね。「仕事はつまらないもの」「働きたくなんかない」なかなか共感できる内容をコメディ的に描いてくれているので、楽しく、そして少し考えながら見ることができました。休日を有意義に楽しんでいる姿が印象的な一方で、最後のエンドクレジットでジョアンナが言っていた「今の店は制服がかわいいの」というセリフで、「あ、仕事のモチベってそんなもんでもいいのかも」とも思えました。

映画「めがね」も好きです。たそがれる、ことができる島でのゆったりとした生活。大切なのは焦らないこと。朝の体操、氷菓子。個人的には、市川実日子さん演じるハルナが言う「ああ死にたい」という何気ない一言が印象に残りました。そうですよね。いくらのんびりした島国の生活だろうとも、辛さは平等にあるんですよね。それはある意味どんな生き方をしても辛いと捉えられそうですが、個人的には、そこに感性の多様性を感じました。

いい生活に見えそうなものにも、合わない人、合う人がいる。ハルナ自身は、そんな大それた意味合いで使ってすらいなそうですが、要は、人それぞれに好きだと思うこと、嫌いだと思うことがあること。そこに、生き方の自由さを感じました。




冒頭の「人生が仕事の中心ではない」という論と、紹介してきた作品を通じて私が考えていることは、「働く時間を少なくすること」です。

自分の幸せを考えた時、私は、なにか心が動くことをして、それを表現して生きていきたい。そのためには創作する時間が欲しい。そして美しい風景、物語、好きな人々と触れ合う時間、そういったものを体験する時間と余裕を増やしたい。それは、働く時間を減らし、そのほかの時間を増やせば可能なのではないか。収入が減る問題はあるでしょうが、最低限度の生活ができるよう、支出を減らす工夫をすれば継続的に生活できるのでは。そんな余裕と余白のある生活に、私は憧れています。

そのためには、短時間で稼ぐ能力と、見合った仕事量に身を置くことが大事だと考えました。特定の能力が必要で、適切に仕事量をコントロールしやすい職場。だからそのためにいろいろ考えたり、動き始めたりしています。よりよい生活を、人生を、楽しみたい。そんな風に思って。

……と、ここまで書いておいて思いましたが、余裕を得るために活動量が増えているから、疲れてるのかもしれませんね。ぼちぼち行きたいですねえ。

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