ふとしたとき、違国日記というアニメがあるということを思い出しました。十二国記みたいなファンタジー作品かな。気楽に見てみようかな。全13話。パッケージを見るに、そんなにファンタジーらしさは感じませんでしたが、絵が綺麗で素敵そうだったので見てみました。
見始めたのが夜の21時頃だったんですが、13話ぶっ続けで見てしまいました。寝たのは深夜の3時過ぎ。アホですね。ただ、それだけこの作品に惹き付けられましたし、心を揺さぶられましたし、愛しさを感じました。気付いたら原作も購入しており、何度も読み返しています。
この記事は、「違国日記」という作品の魅力を私の視点でつらつらと、愛全開で語る記事です。ネタバレも含まれますので、アニメ、漫画、映画のいずれかでも閲覧していない方は、読まないことをおすすめします。その前提でもよければ、お付き合いください。
まず「違国日記」の概要です。原作はヤマシタトモコさんによる漫画です。人見知りな35歳の小説家の女性・高代 槙生と、両親が亡くなり槙生に引き取られた15歳の姪・田汲 朝。彼女らがなかなか理解し合えない思いを抱えながらも、真っ直ぐに向き合い、次第にかけがえのない関係となっていく。そんなストーリーです。アニメと映画になってます。私はアニメから入ったので、紹介動画張り付けておきますね。
作品の色といいますか、雰囲気を表す言葉は、朝の母親である「実里」を演じた、大原さやかさんが先行上映会でおっしゃっていたコメントが非常に参考になります。素晴らしい言葉です。
淡々と紡がれる日々の裏側に、常にヒリヒリとしたものをはらんでいて、時に共に泣き、共に苦しみ、共に悩み、いつのまにかジワジワと低温火傷をしていくようなこの作品の温度感が、とても好きです。
同意の意味で、あかべこのように「うんうん」頷いてしまいました。この違国日記で描かれる、ヒリヒリとした人の内面のリアリティは、他の作品では味わえないものだなと感じています。
特にメッセージとして感じたのは「人間はそれぞれが違う感性で生きていて、それは決して交われない」ということでした。

15歳で両親を亡くした主人公の田汲 朝。子供にとっては世界の四分の三ぐらいがポッカリとなくなるレベルの衝撃だと思います。自分を生んだ両親がどんな気持ちでいたのか、残された言葉がどういう意味だったのか、それもわかりません。気持ちをうまく言語化できない年齢でモヤモヤだけが募り、結果、唐突に寝落ちしたり、「なんかむかつく」という気持ちを抱えて生きていく。この自分にしかわからない感情との出会いが、彼女に孤独を、そして寂しいという感情を抱かせます。
叔母の槙生も「孤独」ですが、彼女は寂しくありません。自分の世界を持っていて、決して自分の感情を相手に押し付けない。寂しいという気持ちについて、元恋人の笠町に聞くのは彼女ならではの行動かもしれません。しかし、彼女が悩んでいないかというとそうではなく、普通のことができないことに悩み、人間関係に悩み、自分で解決できないことにぶち当たることも多い。

この作品に出てくるすべての人間、それぞれが個別に悩み、考えています。えみりは「フライドグリーントマト」という映画を見て泣き、笠町は親との確執や鬱病経験があり、実里はいつの間にか普通でなくなっていた人生を感じながら、朝に「あなたのことが大好きです」と綴って残した。(愛しているという言葉を使わずに)
作品の中で時折出てくる砂漠の描写と、オアシスの水が決して自分の体と同一になれないという表現は、人間はひとりで広大な砂漠を旅していて、時折訪れる好ましい人というオアシスとも、同一化はできない。つまり人間は孤独に生きていて、感性を完全に理解し合うことはできないのだということを描写していると感じました。

そんな孤独がありつつも、生活は続きます。田汲 朝の場合は、たらい回しからの同居、遺品整理、卒業式、喧嘩、家事、勉強、部活。思いを抱えながら、日々をこなしていくことになります。
私たちにあてはめて考えても、日々の中で、「人と気持ちをわかりあいたい」と思う場合があると思います。それが満たされないと、人は孤独を感じる。お互いの気持ちが完全にはわかりあえないことを、自然に理解していない限り、気持ちはずっと満たされないと思います。そんな孤独な思いを抱えたままの日々は、辛いでしょうね。
「そういえば違国日記っていうアニメでBialystocksの曲使われてたよ」
私は、友人からそんな話を聞いて、この違国日記という作品を知りました。日本酒を二人で六合ほど飲み干しつつ、私はボーッとした頭で「へー」と言いました。友人と分かれ、帰り道で好きな曲を聴き、帰って寝て、翌日は仕事へ行きました。そんな日々を繰り返し、しばらくして少し日々に疲れ、友人の言葉を思い出し、冒頭にいたりました。
小さなことが積み重なって、過ぎていっています。私の感覚を完全に理解することは他の人にはできませんし、他の人の感覚を完全に理解することも、私はできません。

ですが寄り添い合うことはできる。私は違国日記という作品から、孤独と、孤独に対する救いを感じました。
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